おがしむかしばなし
昭和(しょうわ)29年(ねん)3月(がつ)31日(にち) 船川港町(ふなかわみなとまち)・脇本村(わきもとむら)・五里合村(いりあいむら)・男鹿中村(おがなかむら)・戸賀村(とがむら)の合併(がっぺい)による市制施行(しせいしこう)で男鹿市(おがし)となる。
昭和(しょうわ)30年(ねん)3月(がつ)31日(日曜日) 北浦町(きたうらまち)・船越町(ふなこしまち)が編入(へんにゅう)。
昭和(しょうわ)31年(ねん)4月(がつ)1日(にち) 払戸村(ふっとむら)・潟西村(かたにしむら)が合併(がっぺい)し、琴浜村(ことはまむら)となる。
昭和(しょうわ)45年(ねん)11月(がつ)1日(にち) 町制施行(ちょうせいしこう)により若美町(わかみまち)となる。
平成(へいせい)17年(ねん)3月(がつ)22日(にち) 男鹿市(おがし)・若美町(わかみまち)の合併(がっぺい)により男鹿市(おがし)となる。
男鹿(おが)の地名(ちめい)
日本書紀(にほんしょき)によると、安倍比羅夫(あべのひらふ)が蝦夷(えみし)の征伐(せいばつ)(658年(ねん))のとき、齶田(あぎた)の酋長(しゅうちょう)・恩荷(おんが)がいて、この恩荷(おんが)が変化(へんか)したものと言(い)われています。
更新日:2021年03月31日