多様な働き方case:3 男鹿半島・大潟ジオパークガイド

更新日:2022年08月29日

入道崎で草刈りをするジオパークガイド会長

男鹿半島・大潟ジオパークガイドの会会長として活動されている、澤木博之さん

男鹿半島・大潟ジオパークのガイドだけでなく、SNSでの情報発信や寒風山ジオサイト植物相のモニタリングや寒風山山麓湧水の簡易水質検査、ジオサイトの草刈りなど、ガイドの会としてジオサイトの保全活動の一環として幅広く活動をおこなう他、ご自身が住む町内会の会長や、男鹿市菅江真澄研究会との交流、自然観察指導員として活動もされています。

 

あきたどまんなか宣伝局 (秋田県秋田地域振興局)

前半は秋田地域振興局公式noteで鵜ノ崎海岸の小豆岩(あずきいわ)やジオパークの魅力についてお話しをうかがいました。

小豆岩でジャンプするジオパークガイド

 

 

おが住では、後半の内容をご紹介します。

インタビューに答えるジオパークガイド会長

ジオパークガイドになるきっかけは何かあったのですか?

退職間近の58歳頃から、退職したら何をやって暮らそうか悩んでいました。
サラリーマンだったので、60歳で退職の線引があり、本人の希望で出向に行けば65歳までは働ける環境でした。65歳まで仕事をするか60歳でやめるか、どちらかに判断しなきゃいけないなと。
健康であれば身体が動ける時まで外に出てボランティアのような活動をしていきたいなと、いろいろずっと考えていました。

 

ジオパークガイド養成講座の募集

60歳で一旦退職、62歳の時に出向会社で仕事していた時に、男鹿市の「広報おが」でガイド養成講座の募集を見つけ、「あっ!これだ」と直感しました。
もともと地質や、石などに興味がありました。

当時のガイド養成講座は2年がかりで最初の1年は初級講座を受講、次の年は上級講座を受講し、最後にガイド認定試験をおこなう流れでした。
(現在は受講期間が短縮され、約6ヵ月の期間で養成講座がおこなわれています。)

65歳になり仕事をやめてからその時にガイド養成講座の募集があるかどうかも分からないし、仮にあったとしても65歳で仕事を終えて2年間勉強すれば67歳になってしまう。
ガイドデビューとなると68歳になる。
どうせ受講するのであれば、早い方がいいという思いもあったので、カミさんに「俺、仕事やめていいか?」って相談しました。

 

男鹿半島の地層前に立つジオパークガイド会長

 

カミさん自身も退職後の身の振り方をいろいろ考えていたらしくて、今まで2人で共働きして、家も建てたし子供たちも大学行ってそれぞれ巣立っているのでもう無理しなくてもいいかなと考えていたらしくて、自分から仕事をやめるって言った時に意外とすんなり理解をしめしてくれて有難かったですね。

そしてすぐにガイド養成講座に申込しました。

やるからには、ジオパークの凄さ、素晴らしさを伝え、またお客様からの質問にしっかり答えられるガイドになろうとジオサイトについてすべて勉強しました。
2015年の春にガイドデビューして、2017年の春に会長に就任しました。

 

澤木会長が選ぶ一番のお気に入りジオサイトはどこですか?

男鹿半島寒風山からの景色

 

やはり、寒風山ですね。

今から218年前に江戸時代の紀行家、菅江真澄が男鹿半島を訪れて書いた紀行文「男鹿の秋風」に記載されていますが、
寒風山に登ってきた時、「三千世界も一望に尽きるかと思われ、素晴らしい眺望だ」と、感嘆しあまりに素晴らしい景色を「三千世界」という言葉で表しています。この言葉を調べたら仏教用語で宇宙とか世界観とかすべてのものという意味でした。

その後、大正2年に地理学者の志賀重昂(しがしげたか)が寒風山の山頂に登って来た時に天気がよくて、その当時は八郎潟がまだ干拓されていなかった時代なので、湖面が輝き素晴らしい景色だったのでしょうね、志賀先生は山頂から見た景色を世界三景に値するような話をされたとも言われています。取って付けた世界三景でなく、上記のような色々な云われがあり「世界三景・寒風山」となっているようです。ちなみに、後の二景はアメリカのグランドキャニオン、ノルウェーのフィヨルドだそうです。

 

寒風山の山頂にある誓の御柱
男鹿半島寒風山にある誓の御柱

 

「誓の御柱・ちかいのみはしら」は、明治新政府が日本の基本方針を世界に向けて宣言した五箇条の条文(五箇条の御誓文)をいいます。男鹿半島地域から秋田に通学する学生達の会「琴湖会・きんこかい」が、男鹿文化の道標(みちしるべ)にしようと広く募金を募り、寒風山山頂に建てたものです。

五箇条の御誓文が刻まれている上部五角柱の黒っぽい石は、男鹿石といい寒風山の安山岩が使われています。
この男鹿石は寒風山・姫ケ岳裏側の山麓から、地域の人たちみんなで粗削りした原石に綱をつけ下にゴロを敷き、人力により引っ張って寒風山山頂まで引き上げたそうです。

そして船川港町から石工職人を呼んで、寒風山山頂で粗削りされた石を磨いて文字を掘る作業がおこなわれ昭和5年に落成しました。
1964年に県企業局が山頂に回転展望台を建設する際に、山頂から少し下の現在の場所に移されました。

また、太平洋戦争で日本が敗戦し、その後アメリカの進駐軍により寒風山の「誓の御柱」も当初壊される予定だったそうです。しかし、進駐軍のマッカーサー司令官が「誓の御柱」に書かれている内容は(五箇条の御誓文)、民主主義に通ずるものがあるということで取り壊しを免れたと聞いています。東北地方で現存するのは寒風山だけとなり貴重なものとなっています。

男鹿半島寒風山の風景

 

寒風山は男鹿半島観光の玄関口として、山頂からの景色も素晴らしいですが、半芝生の山なので山肌も女性的できれいです。また、草原性植物の絶滅危惧種も数多く自生していて、トレッキングや散策で四季折々の山野草の花々を楽しむことができます。今年の6月に東北地方では唯一「未来に残したい草原の里100選」に選ばれています。

 

 

 

ジオサイトの中でツウな人しか知らないスポットはありますか?

 

男鹿半島西海岸にある野湯「金ヶ崎温泉」ですね。

 

男鹿半島金ヶ崎温泉源

昔、あそこは湯治場でした。場所は加茂青砂と戸賀の中間です。

昭和30年代ごろまでは湯治場として「湯守り」がいたようです。

湯治に出かける人達は加茂青砂や戸賀から船で往来していたそうです。
現在は「湯守り」もいなくなり、誰も手をかける人がいなくなったので温泉も朽ち果てています。波打ち際の湯舟は波により壊れていますが、石を積み上げコンクリートで固めた四角い湯舟の面影はかろうじて残っています。

 

金ヶ崎温泉のお湯を出すジオパークガイド会長

 

ほとんど訪れる人はいないので手つかずの自然が残され、非日常的な空間を感じることができる幸せな場所です。男鹿半島最後の秘境といえるかも知れませんね。

 

 

 

これからの男鹿半島・大潟ジオパークのビジョンを教えてください。

ジオツアーだけでなくエコツーリズムにも繋げていきたいですね。

ジオサイト(見どころ)を見て巡ることをジオツアーと言っていますが、このジオツアーと合わせて、エコツーリズムにも繋がる活動も始めています。

素晴らしい自然環境に多くの観光客が訪れると、当然少しずつ自然環境が壊れて行きます。自然環境を維持するには保全活動(メンテナンス)が必要になってきます。寒風山ジオサイトの植物相も毎月チェックしながらモニタリング調査を実施しています。また、寒風山山麓に湧水が約30箇所あると言われています。その中の主な湧水5箇所の簡易水質検査をおこなってデータを積み上げています。できるとこから始めています。

楽しく活動しないと続かないですし、我々の代で終わるのではなくこの後も継続的にガイド活動を続けてほしいので、次世代の人材を育てることが一番の課題です。

 

男鹿半島寒風山からの風景

 

ガイド活動は現職の人達は大変だと思うのでサラリーマンを卒業した時間的余裕のある人が向いていると思います。
興味がある人達が「ガイドの会」に入ってくれれば、この先も活動を継続的に続けられるので、これからも情報は発信していきたいです。そんな大きな力にはなれないですけど観光振興、地域活性化、子供達の教育の場として少しでも地域に貢献できればと思っています。

 

【写真提供:澤木 博之】

 

男鹿半島・大潟ジオパークホームページ

 

 

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