天保のききん供養塔
名称 | 天保のききん供養塔 |
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所在地 | 船越字一向98-2(男鹿市教育委員会) |
種別 | 有形文化財(歴史資料) |
指定年月日 | 平13.2.22 市指定文化財 |
江戸時代最大の飢饉といわれている天保4年(1833年)の飢饉では、男鹿半島で2,559人が餓死したといわれており、この人たちを供養するため、船越の鈴木重孝、太田吉太郎、宮沢の佐藤新三郎が弘化3年(1846年)に建てたものです。この碑は後世の人々に飢饉の惨状を警告しているとともに、当時の社会現象を考える上で貴重な歴史資料です。
